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HAGINO Ryo
  • 作者:HAGINO Ryo
  • 萩野 亮。ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン「neoneo」に映画時評を連載中(2007年4月〜)。
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    →r.hgn〔at〕hotmail.co.jp。
    また当方はリンクフリーです。
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『チョコラ!』

上映二日目に駆けつけました。やっぱりすばらしいです。好きです。5/15配信の「neoneo」に批評を書きましたので、よろしければご一読ください。最後に出てくるルシーダという女性のエピソードに、このフィルムの底抜けの明るさとは別の表現の位相があるように思ったので、くわしく論じてみました。
ところで上映後にサカキマンゴーさんのミニライブがあって最高だったのですが、起立したうえ足踏みと合唱をして白眼を剥いたのは長い映画館通いのなかでもはじめての体験でした。親指ピアノ、すげー。

(09/5/10 ユーロスペース)

『四川のうた』

『長江哀歌』にあまり感心しなかったのは、長江流域の町の風景が、主人公ふたりの外部からの視線によって一般化されているように思われたからであり、紙幣に描かれたそのままの風景をたしかめるように眺めるショットは冗長としか思われず、イメージの凡庸化に開き直ってみせるかのようにも見えたからだ(挿入されるCG映像もなんだかむなしい)。その後フィルメックスで上映された『無用』は農村のエピソードから俄然面白くなったが、『東』、『私たちの10年』、『河の上の愛情』はそれなりという感じで、ともかくジャ・ジャンクーに対する熱狂は薄れていたのだが、今回の『四川のうた』はすばらしいと感じた。さしあたりの集大成といってもいいと思う。工場の町に生きた民衆の歴史へのまなざしを、ジャ・ジャンクー的としかいいようのない「うた」という主題系列でうかびあがらせてゆく手腕は、ここに極まっている。ところでこの『四川のうた』という邦題は犯罪的だと思う。原題の『二十四城記』というぶっきらぼうな簡潔さのなかにそれぞれの思いのつまった「うた」が散りばめられているから感動的なのであって、みずから「うた」を前面に押しだすようなはしたなさを禁じたところにしかジャ・ジャンクーの映画は成立していないと思うからだ。前作の『長江哀歌』から引き続き、彼のフィルムをこぶしの利いた「演歌」に仕立て上げるのはどうかやめていただきたい。
宝くじを売る移動販売車の声や、オリンピック開催を決めるテレビの声など、音声によって民衆のあえかな生活感情を表現することにきわめて長けていたジャ・ジャンクーにとって、歌謡曲は『一瞬の夢』からの変わらぬ最大の主題だったように思う。それが今回インタビューというシンプルにして大胆不敵な方法によってふいに現れてくる。中国でも大人気だったという『赤い殺意』の山口百恵による主題歌が、ユー・リクウァイの神業的なキャメラワークとともにゆるやかに流れ出したとき、寒気のするような感動をおぼえた。これはたしかな歴史記述の方法だ。同じインタビュイーによる周恩来の死のエピソードも面白い。
さてこのフィルムのもっとも果敢な冒険は、実際の生活者に混ぜて女優による、いわば偽装されたインタビューを含めていることだ。これについてはあまりうまくいっているようには思えなかった。インタビューの虚構性を挑発的に暴いている点はよくわかるが、それでも女優による意識的な演技と、一般市民の無意識的な演技とは峻別する必要があるように思う。ふたりの女優のインタビューのシーンは背後の動的な空間を活かした画面の緊張感こそ高まっているが、インタビューの「内容」がどうしても伝わってこなかった。
ところで『四川のうた』は、ワン・ビンの二本のフィルムの存在をその背後に感じさせる。『鉄西区』における、工場の町の変遷において民衆史をあぶりだすという方法論、そして『鳳鳴―中国の記憶』における、ただひたすらのインタビューによって個人史から中国現代史をダイナミックに描いてゆく方法論は、ともに『四川のうた』にもみられる方法意識ではないか。安易な指摘は慎むべきだが、両者のフィルムを並列的にみつめることで、互いに乱反射するような発見があるかもしれない。機会があれば取り組んでみたいテーマだ。

(09/5/10 ユーロスペース)